2023年の暑い暑い夏が終わりました

仕事柄、多くの方の死に関わります。

これまで何百例の死を診てきたことだろう。

どの旅立ちも、私はおろそかにせず、常に亡くなった方が歩んできた人生に敬意を持って見守ってきたつもりです。

そして、なんと今年の夏は、5名の大事な方達をお看取りするという、特別な夏になりました。

Kさん。私の職場のスタッフでした。明るくて、家族思いで、テキパキと仕事をして、聡明で皆に愛される女性でした。とても暑かったある日、地方でお子さんのスポーツ大会の応援をしている最中に突然倒れ、そのまま意識が戻ることなく、旅立たれました。発病前同じ職場ですぐそばにいて、なにが助言が出来なかったのか。激しい暑さがなにか歯車を狂わせたのか。私はただただ立ちすくむのみで、ご主人の気丈にされている様子を見るに付け、冥福を祈ることしか出来ない自分が情けないのです。家が職場から近かったので、自転車で通勤していました。朝とか夕とか自転車の女性を見ると、ついついKさんに見えてしまいます。

ご主人にも二人の息子さんにもきっとまたいつか明るい光が差してくると、そう信じています。


Mさん。私が大学病院で研修を始めたときの講座の教授です。右も左もわからなかった私は手取り足取り指導を受け、実に多くのことを学びました。私が自身の人生で最も勉強した時期でした。今日、自分が専門性を保ちつつ、常に患者さん目線を忘れずに診療が出来ているのは、すべてM先生の指導のおかげです。M先生はアメリカで神経内科の専門医を取られ、英語はほぼネイティブでした。私はあまりのお粗末な英会話力のまま今日に至り、これについてはまったく引き継ぐことが出来ませんでした。

そのM先生が1月に奥様を亡くされ,それ以降急速に心身の衰えが目立ち始めていることを、同門の仲間と自宅にお邪魔したときに知りました。つらそうなご様子でしたので、訪問診療を提案して毎週お邪魔させてもらいました。ご家族もとても熱心に関わり、SNS等で情報交換をしながら、全員でしっかり寄り添っていたつもりでしたが、急逝されました。私はあまりに無力でした。訪問した際にとても嬉しそうにして下さった顔、ご自分の病気を気に病んで深く落ち込まれた顔、どちらも鮮明に思い出されます。

残された娘さんとお孫さんが、これからの自分達の夢を実現していってくれることを祈っています。


Hさん。重い内科疾患を患い、入退院を振り替えしていましたが、ご家族皆で相談し、自宅で最後まで看ることを決心されました。<治すこと>ではなく、<お持ちの病気が原因で苦痛を我慢するようなことにならないこと>という原則を皆で共有し、見守りました。そうすると奇跡が起きました。点滴が肉体的に負担になっている様子が見え始めたので、みなで相談して中止。水分を全く取らなくなったら大部分3日程度の経過なので、ぎりぎりかなという思いで、3日目訪問するとニコニコと笑顔を見れてくれて、バイタルも安定。私はいい意味でしっかりと裏切られました。その後頻回にお邪魔するたびに笑顔で迎えてくれる。家族みんなも笑顔。お嫁さんが介護職で大変すばらしい経験を積んでおられ、息子さんも、お孫さん二人も非常に熱心に訪問看護師さんと協力し、最後まで笑顔が溢れた奇跡の日々を過ごせました。大往生でした。

Hさんのお看取りは私が出張中だったため別の医師にお願いしました。その関係で後日お線香を上げさせていただくためにお邪魔させてもらいました。仏壇の遺影を見てびっくり。すごい美男子。そしてとても凜々しくて寡黙な感じが伝わってくる。感想を家族に伝えると,<その通りの人でした。笑うこともほとんどなくて。でも先生が来てくれた時だけはびっくりするぐらいの満面の笑みだったんです> 

私はそこまでつくすことが出来ていたのかなあ。でも嬉しい気持ちで一杯です。


Sさん。家族のために一生懸命働いている最中の事故で四肢麻痺の状態になり、病院治療を終えて在宅療養になった時から訪問を開始した方です。いい人なんです。元気なときもきっと懐深い生き方をされてきたんだろうなと思います。介護は奥様一人が担当。もちろん訪問看護師さんたちや介護系の様々な職種の方達の応援も得てはいたけれど、過酷を極めていました。でも決して患者さんも奥さんも音を上げずに、上を目指して淡々と療養を続けていました。

チャンスが訪れたのは今年に入ってからです。脊髄神経の再生医療(最先端の医療)を行うチャンスが訪れました。いくつかの障壁がありましたが、私たちも全面的に応援し、それを乗り越えて実現しました。そして無事終了後、専門病院で積極的なリハビリテーションを開始しました。経過は良く、好ましい手応えを感じていましたが、リハビリテーションの最中に急変し、そのまま急逝されました。一段階も二段階も良くなった状態で自宅へ帰ってこられることを楽しみにしていたSさんと奥さんと娘さんの希望、さらに上を目指して行くのを全面的に応援するつもりでいた私たちの思いが、ぷっつりと途切れてしまいました。なんでこれほど辛辣な試練を神様は課すのだろう。そう思い、天を仰ぎました。

決してめげずに戦って来られたSさんと奥さんと娘さんに最大限の敬意を表します。


Fさん。神経難病を患い、その進行に立ち向かい、最後はやはり大往生を遂げた女性です。進行性の経過の中で、様々な葛藤を抱えながら家族は介護を続けました。Fさん宅は実質介護者は娘さんおひとり。従って、昼夜問わずの痰の吸引や、体交、清拭など介護は過酷を極めました。レスパイト入院がこれほどありがたいと感じたことはないし、それを受けいれてくれた急性期病院には私も娘さんも心からの感謝でした。娘さんに息子さんがいて、ウルトラマン大好きな健康な男の子。この子がとても優しい。いつもいつもおばあちゃんの傍らに寄り添い、しばしば添い寝もしていました。写真家である娘さんの撮った二人が寄り添って寝ている写真は私も大好きな一枚です。お部屋にはFさんの造った作品も飾ってあり、芸術的センスに秀で、素敵な生き方をされていたんだろうなと思っていました。

落語もお好きだったようです。東京にお住まいの長女さんが落語関連のお仕事をされている縁もあり、なんとプロの若手噺家(三遊亭伊織)さんに患者さん宅で高座を務めてもらう企画が持ち上がり、落語好きな私たちもお招きに預かり、楽しい一時を過ごしたのでした。この時すでに患者さんは車椅子に長らく座ることは難しく、訪問看護師さんに傍らで見守ってもらいながらの鑑賞でしたが、大きなエネルギーを得たと感じました。

このようにいろいろな工夫を重ねましたが、進行には勝てず、ついに大きな決断をすべき時が来ました。そして、この患者さんにも奇跡の時が訪れました。点滴を止め、三日で厳かな旅立ちを迎えるはずが、またまたいい意味で思い切り裏切られました。逆にむしろとても平静な状態になり、とても長らく娘さん、お孫さん、そして途中から長女さんも加わり、皆さんで貴重な時間を過ごすことが出来ました。

患者さんが大好きだった海辺の動画をわざわざ撮影してきて大きなスクリーンに投写し、それをしっかりと見ていた患者さん。そこには波の音も聞こえていてもうこれ以上の幸せはないなと、そう感じました。


2023年夏。経験したことのない暑い夏。

暑い夏が来るたびに、鮮明にこの夏のつらい出来事を思い出すのだろうなあ。

でもそのとき、哀しさより、あたらに前を向いて頑張っているみんなの顔を思い浮かべることができるといいなあ。

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