学習(練習)をするということ

中年の悲哀は<予測可能性の高さ>、わかりやすく言うと<先が見えてしまうこと>、と言い換えることができる、という表現を見て、納得。仕事でも趣味でも、年齢を重ねる程「新しい何か」に挑む瞬発力は減って、自分が今までやってきたものに安住してしまう。必然的に、「失敗して悔しい」と思うタイミングも滅多になくなって、知らないスキルやノウハウを習得する機会もなくなる。これがまさしく老人になるということ。

新しいことをマスターすべく学習したり、練習したりすることを意識的に取り組むことが大切だし、その取り組みも小綺麗にまとめ上げる、あるいは失敗しないようにするのではなく、どんどん失敗して(だって練習だから)そこから学んでいくことが大切だなと思う。

学習とは「なんらかのスキルや知識を、新たに獲得すること」ではなくて、「経験を通じて自分の信条・習慣・思考様式を変化させることで、同じインプットに対して、より良いアウトプットを出せるようになること」なのだそうで、これも非常に納得。難しく言うと、自分というシステムが変容し、世界が違って見えるようになり、言い換えると禅の「悟り」に近いニュアンスということで、これも納得。

練習は泥臭く、失敗を重ね、経験値を積み、自分をアップデートしていく。それが大事だと再確認。練習さえ小綺麗にまとめていこう、と考えがちな私はいつの間にかまさしく老人になっていたと反省し、これから取り組もうとしているいくつかの事柄は正しい練習を重ねていくぞ!!!

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